―心と体の揺らぎに、ふたりで気づいていく―
体の変化に戸惑いながら、自分のペースを探していく
妊娠初期から中期にかけて、身体は静かに、けれど確実に変化していきました。
入院が必要なほどではなかったものの、電車に乗るのもつらいようなつわりが続き、出勤をあきらめる日も少なくありませんでした。
食べられるものは限られ、果物ばかりを口にしていた時期もあります。レモングミや黒酢で気持ち悪さをごまかしながら仕事をしていた頃のことは、今では少し懐かしく思い出されます。
中期に入るころには妊娠前より3キロ近く体重が落ち、貧血気味になっていました。
仕事はまとまった休みを何度も取りながら、しばらく休んでは復帰し、また体調を崩して休むという繰り返し。
心身ともに踏ん張りどころの時期だったように思います。
高揚感と緊張感が共存する時間
妊娠がわかったときの喜びは大きなものでしたが、それと同時に、常に「大丈夫だろうか」という不安もついてまわりました。
自分の行動ひとつでお腹の中の命に何か影響があるのではないか。そんな緊張感がどこかにあり、心の底からリラックスするのが難しい時期でもありました。
一方で、自分の身体の中にまったく別の命が宿っているという事実は、どこか神秘的で、それ自体が高揚感をもたらすものでした。
涙もろくなっていた時期と重なっていたこともあり、日常の小さな出来事にも心が動かされる瞬間が多かったように感じます。
心身の変化を受け入れるということ
妊娠中の心や体の揺らぎを、私は比較的自然に受け入れることができていたと思います。
それは、おそらく妊娠以前から、生理や体調不良などを通じて「自分の心身でさえ、思い通りにはならない」という実感があったからかもしれません。
不快な症状が続いたとしても、それが新しい命の成長とともにあると考えれば、むしろその不調さえも肯定的に受け止められるところがありました。
支え合うことが、自然なかたちになっていた
この時期、夫の存在にはずいぶん助けられました。
体調の不安を話すとき、彼はその気持ちをしっかり受け止めながらも、深刻になりすぎずに反応してくれることが多く、それが私にとってはとても大きな安心感につながっていました。
ちょうど夫の仕事が落ち着いていた時期でもあり、家事や食事の準備なども積極的に担ってくれました。
思い返してみると、私の記憶が多少美化されている部分はあるかもしれませんが、あの頃の彼は「夫・父の鏡」と言いたくなるほど頼もしい存在でした。
共有する時間の大切さを知る
妊娠中期に、一緒にエコーを見に行くことができたのは、本当によかったと思っています。
たとえ一度でも、心拍を聞き、胎児の姿を確認する時間を共有できることには、大きな意味があります。
その後、子どもの名前を考える作業では、ふたりとも気持ちが高まりすぎて疲れてしまうようなこともありました。
タイミングによって熱量の差が出てしまい、もやもやを感じることもあったのですが、それも含めて、今では良い思い出の一部です。
名前についてのエピソードは、それだけで一本記事が書けそうなくらいに印象的でした。
「恋人の延長線としての夫婦」を忘れずに
妊娠を機に、自然と「父」「母」としての役割を意識するようになりますが、私たちはその一方で、「恋人だったときの感覚も大切にしたい」という思いを共有していました。
これは、子どもが生まれた今でも変わっていません。
どのように過ごしたいか、どんな夫婦でありたいかを言葉にし、その実現に向けて努力することを、ふたりとも大切にしてきたつもりです。
できないことがあるからこそ、頼ることと感謝が生まれる
妊娠中は、母親にしかできないことがどうしても多くなります。
そうした「役割の偏り」を意識せざるを得なかったからこそ、自分にできないことを相手に任せる、という自然な分担が生まれたのだと感じています。
そしてその結果として、相手に頼ること、相手に感謝することが、日々の中に少しずつ根づいていったように思います。
次回は、こうした妊娠期の変化を経て、ふたりの間に生まれた価値観やすれ違いについて、もう少し掘り下げてみたいと思います。
「察してほしい」と「ちゃんと伝えたい」のあいだで揺れ動いたやりとりも、今振り返ると、大切な対話の入り口だったように感じています。