🌱1分de知の種 Seed.16(2025.10.29)
~『きみのお金は誰のため』「働く」の本質を、もう一度考える~

気づきの種が、思索の木となり、やがて知の森となる。
日々の中に、静かに芽吹く気づきを。

今回は、こちらのひと粒をお届けします。

「誰のために働くのか?
この問いかけに、自分や家族のためだと答える人は多いやろう。彼らは『誰のためにお金を稼ぐのか』という質問をされたと考える。
『働く』という言葉を、『お金を稼ぐ』という言葉に自動変換しているんや。
『働く女性』という表現をするとき、専業主婦は含まれない。家族のために家事をしたり、子どものために育児をしたり、しっかり働いているにもかかわらずや。ここでの『働く女性』も、『お金を稼ぐ女性』という意味で使われている。これはお金の奴隷になっている証拠やと僕は思っている。」

出典:田内 学『きみのお金は誰のため』(東洋経済新報社, p.174)

「奥様はお仕事とかされてるんですか?」と聞かれたとき、
つい「今は仕事はしていないです」と答えてしまっていた。

でも、ふと違和感がよぎる。
当たり前を疑うところから、「哲学すること」が始まるのだとしたら、
まさにその瞬間に、哲学(問い)が芽吹いたのだと思う。

なぜ「仕事をしていない」と思った(言った)のか。
きっと、働く=お金を稼ぐという物差しだけで測っていたからだ。

働くことの本質を、
誰かのために行為し、社会を成り立たせることだと考えるなら、
家事や育児に従事する専業主婦(夫)も、間違いなく「働いている」。
そこに賃金が発生するか否かは、実質的には無関係のはずだ。

「仕事」という概念を、
もう一度、ていねいに取り扱ってみたい。

ひとまず、次に聞かれたら、こう答えてみるのはどうだろうか。
「はい、妻は、今は主に育児と家事の仕事をしておりまして、今日も多忙を極めております。」


🌱今日のひと粒

働くとは、賃金だけでは測れない。
誰かの生活を支える行為すべてに、仕事の名を。

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