🌱1分de知の種 Seed.13(2025.10.26)
~『唯識の思想』から考える、わかりあおうとすること~

パートナーシップ

気づきの種が、思索の木となり、やがて知の森となる。
日々の中に、静かに芽吹く気づきを。

今回は、こちらのひと粒をお届けします。

【人人唯識】 人はみな一人ひとり、根本心である阿頼耶識から生じた世界、宇宙の中に閉じ込められ、その外に抜け出ることはできない。すなわち、一人一宇宙である。

出典:横山紘一『唯識の思想』(講談社学術文庫, p.256)

パートナーの話が、わからない。

妻が、いつものように「今日あった出来事と、そのとき感じた違和感みたいなもの」を話してくれた。
別に難しい話ではない。よくある「あるある」みたいな話だ。
でも、僕にはわからなかった。

「なんで?」「どういうこと?」
色々とつぶさに聞いてみたけれど、結局、理解には至らなかった。
そして、疲れたように妻が言った。
「……もういいよ。」

その瞬間、「やってしまった」と思った。
妻がほしかったのは、きっと「わかるわかる」「そうだよね」——
たったそれだけの言葉だったのだろう。
そんな簡単な言葉さえかけられない自分が、情けなく思えた。

けれど、本当に「簡単なこと」なのだろうか。

唯識の思想では、人はみな、自分だけの宇宙を生きていると説かれる。
それぞれの世界は、根本心——阿頼耶識——から生まれた、
その人固有の「心の宇宙」である。

だから、どれほど愛する人であっても、
同じ宇宙には生きていない。
それぞれの宇宙は、儚く、脆い。
何気ない一言で、簡単に壊れてしまう。

「宇宙」が融合することはない。
でも、それが問題なのではない。
原理的にわかりあえないことが、問題なのではない。

わかりあおうとし続けること。
それこそが、人と人をつなぐ行為なのだ。

対話は難しい。
論破して相手の宇宙を壊すことのほうが、ずっとたやすい。
「それぞれだよね」「わからないよね」と突き放すのも、簡単だ。
けれど、僕は諦めたくない。
相手の宇宙を、自分の宇宙のように大切に思いたい。

たとえほんの一瞬でも、
自分の宇宙と相手の宇宙が、かすかに光で触れ合うような瞬間がある。
そのとき、人は気づくのだ。
「ひとりではなかったんだ」と。


🌱今日のひと粒

一人一宇宙。だからこそ、つながろうとする。
理解できないままでも、手を伸ばし、光を送り合う。
受け取ってくれる、「誰か」がいる。

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