🌱1分de知の種 Seed.37(2025.11.20)
~コミュニケーションという、ありえそうもない奇跡~

気づきの種が、思索の木となり、やがて知の森となる。
日々の中に、静かに芽吹く気づきを。

今回は、こちらのひと粒をお届けします。

「第三に──ここにじつにルーマンらしい特徴が認められる──コミュニケーションはその自明性をはぎとられ、起こりそうもないこととして眺められる。われわれは日頃、コミュニケーションが成功することに慣れきってしまっているのではないか? しかしコミュニケーションの成功は、じつはほとんど奇跡的な出来事ではないのか? あるコミュニケーションはつねに、無数にあるほかの可能性のなかからの選択として生じている。(中略)そうであれば、コミュニケーションがいまそうあるように成り立っているという事態は、じつはほとんどありえそうもない、「きわめて蓋然性の低い事柄」として現れてくる。」

出典:小倉孝誠『批評理論を学ぶ人のために』(世界思想社, p.233)より

誰かと会話が成り立つこと。
伝えたいことが、だいたい伝わっているように感じられること。
日常ではそれを「当たり前」のように受け取っているけれど、
これはほとんど奇跡に近い出来事なのかもしれない。

私たちのあいだには、いつも無数の「ズレ」の可能性がある。
どんな言葉を選ぶか。どんな口調で伝えるか。
相手がどう聞き取り、どう解釈するか。
そのどれもが、別の選択肢を持っている。

そう考えると、コミュニケーションが「うまくいく」というのは、
ありえたかもしれない無数の失敗ルートを、
たまたま、そのときだけすり抜けている状態なのかもしれない。

日常の中で、それがあたりまえのように成功しているように見えるのは、むしろ不思議なこと。
私たちは、無数のズレの可能性の中で、
ぎりぎりのところで調和を保ちながら生きているのだろう。

だからこそ、誰かと気持ちが通じ合ったと感じる瞬間を、
少しだけ大切に味わってみてもいいのかもしれない。
それは、偶然と選択が折り重なった、小さな奇跡なのだから。


🌱今日のひと粒

言葉が通じるたびに、
無数のズレの可能性をすり抜けている。
日常は、静かなコミュニケーションの奇跡に満ちている。

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