気づきの種が、思索の木となり、やがて知の森となる。
日々の中に、静かに芽吹く気づきを。
今回は、こちらのひと粒をお届けします。
「対話というのはおそろしい行為だ。他者に何かを伝えようとすることは、離れた相手のところまで勢いをつけて跳ぶようなものだ。たっぷりと助走をつけて、勢いよくジャンプしないと相手には届かない。あなたとわたしの間には、大きくて深い隔たりがある。だから、他者に何かを伝えることはリスクでもある。跳躍の失敗は、そのまま転倒を意味する。ということは、他者に何かを伝えようとそもそもしなければ、硬い地面に身体を打ちつけることもない。もしくは、せっかく手を差し伸べてくれた相手を、うっかりバスから引き倒して傷つけてしまうこともない。」
出典:永井玲衣『水中の哲学者たち』(晶文社, 2022, p.26)
他者に言葉を届けるというのは、本質的に危険な行為だ。
相手に向かって跳びかかるように踏み切り、勢いよくジャンプしないと届かない。
そして、いつだって失敗のリスクはある。
伝わらなかったり、誤解されたり、相手を傷つけたり。
あるいは、自分自身が痛い思いをすることもある。
だから、もし跳ばなければ、そんな痛みを感じずに済む。
でもそれは、対話という跳躍そのものを諦めるということでもある。
そう考えると──。
他者にちゃんと届く言葉を発すること。
相手が差し伸べた手を受け取ること。
ふたりのあいだに橋のような一瞬が生まれること。
その全部が、やっぱり奇跡に近い。
だって、本来はわかり合えそうにない他者どうしが、
少しだけ届き合えてしまうのだから。
日常という平凡な舞台の中で、
こんな奇跡がしずかに、何度も、起きている。
🌱今日のひと粒
言葉が相手に届くたび、そこに小さな奇跡が生まれている。
対話は、勇気が起こす跳躍の芸術だ。

