🌱1分de知の種 Seed.33(2025.11.15)
~「自分だってできてないよな」と思い出す~

気づきの種が、思索の木となり、やがて知の森となる。
日々の中に、静かに芽吹く気づきを。

今回は、こちらのひと粒をお届けします。

「もし、罪を犯したことのない人間がいるのなら、この女を裁くがよい」とイエスは言った。
すると誰も彼女を裁く者はなかった。

この物語が伝えているのは、誰かを裁こうとするとき、私たちは自分の中の罪──自分が不完全であること──を忘れているということです。
別の言葉でいえば、「罪」とは「至らなさ」のことです。
自分の至らなさを自覚するとは、卑屈になることではありません。人は支え合いながらでなくては生きていけない存在であることを感じ直すことです。

出典:『NHK 100分de名著 新約聖書 福音書』(NHK出版, 2024, p.79)

誰かのミスや言動につい腹が立ち、断罪したくなる瞬間がある。
けれど、その前にふと立ち止まってみると、こんな思いがよぎります。

──自分だって未熟だし、同じことをしていた可能性だって十分あるよな。

「至らなさ」は、特別な誰かだけが持つものではない。
むしろ、私たち全員が抱えながら生きている、人間に固有の特徴なのだと思う。

その前提に立てたとき、他者の失敗に対してほんの少し柔らかくなれる。
そして、自分自身にも、同じくらい優しくなれる。

完璧な人間はいない。
完璧なパートナーもいないし、完璧な親もいないし、完璧な自分もいない。

だからこそ、寛容であろうとする努力が、
家庭にも社会にも必要なのではないだろうか。


🌱今日のひと粒

誰かの至らなさを責めたくなったとき、
「自分にもあり得たよな」と一度だけ思い出す。
その一呼吸が、世界を少しだけ優しくする。

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