心という不可思議と、生きる杖としての仏教

「この世界は科学的な法則によって粛々と動いているけれど、その中で暮らす私たちは心の中の煩悩のせいで苦しみ続けねばならない。この状態から抜け出すためには、釈迦の教えのうち、現代の科学的世界観においても通用する部分を抽出して、それを自分の「生きる杖」にするというのは全く当然のことであり、それ以外に自分の心を偽らずに生きる道はないということです。」

佐々木 閑. 別冊NHK100分de名著 集中講義 大乗仏教 こうしてブッダの教えは変容した (p.220). NHK出版. Kindle 版.

心って何だろう。

意識ともいえるのかもしれない。

たしかにあると言わざるを得ないように思えるけれども、どうやって生まれているのかはよくわからないもの。

思い通りにできるように思えるようで、思い通りにできないように思えるもの。

ないと味気ないけれども、あると苦しみの原因になるもの。

すべてはアルゴリズムだと考える世界観を採用したとしてもなお、心(意識)を現に有してしまっているように思える私たちにとって、仏教も含めた宗教、あるいは哲学、思想について学ぶことが、心と上手く付き合っていくための手助けになるのかな、なんて。

以上は、私が文字通り自分で考えて入力した文だけれども、AIの方がともすれば気の利いた文を書けることもあるわけで、そんなAIに嫉妬する私には、やっぱり心があるんだなあと思うわけでして。

100分de名著シリーズはいくつか読んだことがありますが、この「大乗仏教」は特に面白く、仏教についてほとんど知識のない自分でも理解しやすい内容でした。

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