気づきの種が、思索の木となり、やがて知の森となる。
日々の中に、静かに芽吹く気づきを。
今回は、こちらのひと粒をお届けします。
「われわれは、ごく一般的に言っても、人間の哲学的思考やその結果が、全人間生活において、けっして単なる私的な目的とか、その他の限られた文化目的という意味しかもたないものではない、と知っている。したがって、われわれは[……]われわれの哲学的思考において人類の公僕なのである。[……]人類の真の存在[本来のあり方]は、目標を目指す存在としてのみ可能なものであり、そしてもしその実現が可能であるとするなら、それは哲学を通じてのみ[……]実現されるのである。」
出典: 100分 de 名著 フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』 2025年 7月 [雑誌] (NHKテキスト) (pp.126-127). NHK出版.
最近、パートナーと対話していますか?
パートナーとの対話は、良好な関係を築くために欠かせません。
「何を食べるか」「休日をどう過ごすか」という日常的なことから、
「教育とは何か」「仕事はなぜ大切か」といった価値観まで、
共有できていないと、小さな行き違いがやがて大きな溝になっていきます。
哲学者フッサールは、人々が共通理解を形成し、協力しながらともに生きることを可能にする、
そんな学問の精神を復活させようとしました。
彼はまた、「体験を反省し、その内実を確かめる」ための思考法を提示しました。
それが「本質観取」と呼ばれるものです。
複数の体験を比べ、それらに共通する本質を取り出す。
これは、まさに夫婦の対話にも応用できる方法です。
互いの体験を語り合い、そこに共通するものを見つけていく。
たとえば「幸せと感じるときはどんなとき?」「心地よい環境って何だろう?」といった問いを通して。
共通点が見つかれば喜びに、
違いが見えてきたときには、理解と尊重の芽が育ちます。
私たち自身も、そうした時間を持つようにしています。
日々の忙しさの中でも、ほんの短い時間でも構わない。
対話を通して「自分たちにとっての本質」を確かめることは、
哲学的でありながら、実践的な“夫婦のマネジメント”でもあるのです。
🌱今日のひと粒
対話は、共通理解を育てる哲学的な営み。
互いの体験を見つめ合うとき、
夫婦の関係は、日常を超えて「思索の場」となる。

