🌱1分de知の種 Seed.08(2025.10.21)
~中島岳志『思いがけず利他』から考える、言葉が宿るということ~

気づきの種が、思索の木となり、やがて知の森となる。
日々の中に、静かに芽吹く気づきを。

今回は、こちらのひと粒をお届けします。

「言葉が私にやって来て留まっている。
だとすると、言葉はどこからやって来たのでしょうか?
それはおそらく過去であり、その先にある彼方でしょう。インド人の感覚で言えば『神』ということになります。
私が言葉を所有しているのではない。言葉は私の能力ではない。私は言葉の器である。
言葉は私に宿り、また次の世代に宿る。私がいなくなっても、言葉は器を変えて継承されていく。そんなふうに捉えられているのです。」

出典:中島岳志. 思いがけず利他 (p.53). 株式会社ミシマ社. Kindle 版.

ヒンディー語には、「与格構文」という独特の表現があるそうです。
「私はうれしい」は「私に嬉しさが留まっている」、
「私は風邪をひいた」は「私に風邪が留まっている」と言うのだとか。

この「~に」という構文は、
行為や感情を「自分の意志」ではなく、
何かが自分の中に宿る出来事として捉えるもの。

私が言葉を操っているのではなく、
言葉が私にやってきて留まっている。
そんな感覚を持つとき、
私たちは、自分という存在の境界を超え、
過去や他者、世界と連続していることを感じ取れるのかもしれません。

言葉は、世界をつくり、人をつなぐ。
そして、私たちはその言葉の器として生きているのです。


🌱今日のひと粒

言葉は所有するものではなく、
宿り、通り抜けていくもの。
その瞬間、私たちは世界と響き合う。

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