気づきの種が、思索の木となり、やがて知の森となる。
日々の中に、静かに芽吹く気づきを。
今回は、こちらのひと粒をお届けします。
「もし人間が、どんな要求もすぐ承認され満たされるような仕方で育つとどうなるだろうか。
この人間は、まず欲望に耐えることを知らず、努力して周りに働きかける能力を育むことができない。
また、権力(あるいは親のスポイル)によって自分の『自由』を思うままに得ている人間は、欲望しさえすればすべてが満たされるはず、と考える人間になる。
この人間には、自分の欲望の意味を対象化し、他者関係のなかでこれを調整し、工夫や努力を重ねて目標に到達するという悦び、つまり真の『自由』の悦びは現われることがない。」出典:竹田青嗣; 西研. 超解読! はじめてのヘーゲル『精神現象学』 (講談社現代新書) (p.56). 講談社. Kindle 版.
ドイツの哲学者、ヘーゲルの主奴論では、
他者に命じ、欲望を即座に満たしているように見える「主」よりも、
むしろ「奴」の側が、労働と奉仕を通して真の自由を獲得すると説かれます。
努力し、耐え、関わりの中で生きること。
その経験の積み重ねこそが、
自らの力で世界に働きかける「自由」の実感を生み出します。
自分の思いどおりに命令できることが、自由ではない。
他者や現実と関わりながらも、自分の意志で歩むこと。
そこにこそ、成熟した自由のよろこびがあるのかもしれません。
🌱今日のひと粒
自由とは何か
自分なりに考えてみよう

